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ミーコワールド

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ふりの哲学



  [ふりの哲学]

昔私の婆ちゃんはよく私に言ったものだ。

「何を聞いても聞かなかったふりをしておきなさい」

「何を見ても見なかったふりをしておきなさい」そして

「おまえは賢い子やからなあ」と言った。

私の家の隣は身内だった。

板塀で仕切られていただけだったので大きな声で姉妹げんかをしていると

お互いに丸聞こえだった。

隣りのけんかの声を聞いて私はヤキモキしたが祖母も父も一向に動かなかった。

頃合を見計らって祖母は戸棚の中から何がしかの物を新聞紙に丁寧に包んで

隣りへ持って行った。

それでオワリ。

聞き耳を立てていると「こんにちは」と言う声と

「これ、お母さんに渡しといてな」と言う言葉だけであったように思う。

決して説教はしなかった。

お姉さん達も聞こえていたのを察知して後は静かになった。

逆の場合もある。

逆の場合も隣りのおばさんは決して説教したり、叱ったりしなかった。

すべて淡々としていた。

そして私の祖母「おひで」さんは又自分の仕事に戻ったのである。

私が「大丈夫かなあ」と言ってもまるで何事もなかったかのごとく黙っていた。

説教や叱るのは親の務めだっだ。

だから大人はできるだけ家を開けてはならないと祖母は言った。

説教と叱るタイミングを逃すから。

他人はあく迄も知らぬふりをしていれば良いと祖母は言った。

夫婦げんかについても同じ事が言えるのではないだろうか。

頃合を見計らってわざと用事を作って訪問すれば良いのである。

中山安兵衛のように「まった、まった、アイヤまった」と二人を

分けて入る事はない。

収まりが着いたら元のように何事もなかったように

「知らぬふり」で日常に戻るだけである。

他人に聞かれても「なにが」ととぼけていれば良いと祖母は言った。

山の上の一軒家ではあるまいし聞こえて当然、見えて当然、なのだから。

戸口の中で起こった出来事には決して口出ししないのである。

相談を受けても「知っていたよ」とは決して言わない。

相手の言った事柄にだけ答えていれば良いと祖母は言った。

見えても決して見えたとは言わない。

聞こえた事を「聞こえた」と言う事ははしたない事だった。

まして見えた事を「見えた」というのは「見ていた」という事に等しいのだった。

「聞いても聞かぬふり」「見ても見ぬふり」は美徳だった

「他人より前に出なきゃイケナイ」へ


 


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